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第35話 宝探し


 部屋の中にいた娘たちから、うらやむような一瞥を投げかけられた。
 彼女たちが、メアリーのように色恋に積極的で、ジェシカのように想いを貫く情熱を持ち、ケイトのように冷静に要領よく立ち回ることができる女だったら、すぐさま私にパートナーの交換を提案してきただろう。
 ところが、彼女たちは万事につけてハツカネズミのように慎重で控えめだった。大輪のバラや百合が咲き乱れる社交界の花嫁市場で、野菊のような彼女たちはすみっこで大人しくしているばかりで目立たない。キャボット夫人がお節介を焼かずにはいられないほど、独身男性たちの注目を浴びにくい存在だ。そんな慎み深い彼女たちが、私にパートナーの交換を求めてくると期待するほど私も能天気ではなかった。私が交渉を持ち掛けない限り、彼女たちが積極的に動くことはまずなさそうだった。
 善は急げ。すぐそばにいた栗毛の娘にこっそりパートナーの交換を申し出ようとした、ちょうどそのときだった。

「ミス・ローズデール、君と組むことができてよかった」
 オペラ歌劇場の花形テノール歌手のように朗々たる声が、私の出鼻を力強くへし折った。部屋の反対側から、ジョセフが大股でずんずんと私の前にやってきた。
「私は昔からこうした類の遊びが不得手でね。君の機転と知性に助けを求められるのは非常にありがたい」
 私はジョセフが真実を言っている方に、最小銅貨一枚たりとも賭けるつもりはなかった。
「さぁ、みなさま! これが最初の手掛かりです」
 キャボット夫人のほがらかな声が客間に響いた。「紳士のみなさま、こちらまで取りにいらしてちょうだい」
 紳士たちはぞろぞろと部屋の中央に集まり、すぐに白い封筒を手にパートナーの元に戻ってきた。
「我々は外で開けよう」
 ジョセフが私に言うと、悪戯っぽい視線を部屋中のカップルに向けた。「作戦について話し合うのは二人きりでなければ」
 流れるように自然な所作で私の手を取ると、ジョセフは年長者らしい余裕しゃくしゃくの様子で私に自分の肘をつかむよう促した。
 彼に指先をつままれただけで頬に熱が走り、心臓が転げ落ちそうなほど激しく脈打った。同時に、自分の力ではびくともしなかった彼の腕と、貪欲で不誠実な振る舞いに対する不安がよみがえった。私は全身全霊の力を振り絞って平静を装い、いかさまの微笑みを彼に投げつけた。

 庭園に出て、小さなつぼみをつけ始めた白バラの区画まで来ると、私はジョセフの肘からそっと手を抜き取った。彼が立ち止まったので、私もそれ以上歩き続けることができなくなった。
 ただでさえ頑丈と言いがたい私の忍耐は、不躾なほどまっすぐな彼の視線と沈黙にあっけなく音を上げた。
「どうしてあなたがここにいるの?」
「俺もいよいよ君の歓迎されざる人(ペルソナ・ノン・グラータ)になり下がってしまったようだな」
 いかにも寂しそうな微笑みに騙されてはだめ。
 昨晩の今日で、ジョセフと私がこうして二人きりになるなんておかしい。
 絶対に何か仕掛けや裏があるはずよ。
 私は一生懸命自分に言い聞かせながら、彼の真意と本音を探るべくじっと彼の表情をうかがった。ジョセフは苦いものを含んだように微笑みを崩し、深い溜め息をついて両手を腰にあてがった。
「俺はキャボット夫人の招待を受けてここに来た。ただそれだけだ」
 嘘だ。私はすぐに分かった。
 キャボット夫人は生粋の社交界の淑女だから、商家の妻として義務を果たした女が情夫をこしらえることに目くじらを立てたりしない。でも、妻や婚約者がいるのを承知で殿方と戯れる若い未婚の娘のことは、かねてから見苦しいと嘆いている。当然、みずから未婚の娘にそのきっかけを与えるようなことをするはずがない。ジョセフとシャーリーの婚約は、発表こそされていないものの、社交界の全員にとってすでに暗黙の了解となっている。結婚相手を見つけさせるため、みずから催したホーム・パーティーに、キャボット夫人がそんな男を招待するなんてありえない。
「お断りすることができたはずよ」
 私は冷やかに彼に言った。
「なぜ俺が彼女の招待を断らなければならない?」
 厚かましくも、正当な権利を侵害されたと言わんばかりにジョセフは眉根を寄せた。
 あなたはシャーリーと婚約しているじゃないの! と彼を糾弾したかったけれど、浅ましくも盗み聞きしたことを知られたくなくて、私はぐっと唇を噛み締めた。
「あなたは誰かとパートナーを交換することもできたでしょう?」
 昨晩、私にあれだけの無礼を働いたのだから、それくらいの配慮を示すべきだ。
「そうかい? では、どんな理由で?」
 ジョセフが忌々しいほど落ち着き払った表情で私に問いかけた。「俺が君と午後一緒に過ごせない理由を、招待客の男たちにどう説明したらいいんだ?」
 私は思わず口をつぐんだ。しかし、ジョセフはそうしなかった。
「こう言おうか?」
 彼の表情が酷薄そうに歪んだ。「“昨晩、私は君たちの目を盗んでミス・ローズデールと野蛮な行為に耽っていたため、明るい太陽の下で彼女と二人きりになるのが後ろめたくてたまらない。だから、私とパートナーを交換してくれないか?”」
「やめて!」
 私はかっとなってみっともなく声を上げた。
「あぁ、やめるとも」
 ジョセフは傲然とした笑みを放って私を見下ろした。「俺は後ろめたさなど微塵も感じていないからな」

 精一杯、私は涙をこらえた。
 ジョセフはどこへ行ってしまったの? 優しくて誠実で鷹揚な私の愛する男は、たった一晩で不実で恥知らずで心ない冷血漢になってしまったの?

「せめてお互い礼儀正しくしましょう」
 私は必死に怒りと悲しみを抑え込んだ。
「もちろん、そのつもりだ」
 ジョセフは声を低めて付け加えた。
 穏やかな表情は優しかった。揶揄も皮肉もなかった。思いやりと感謝が伝わってきた。まるでジョセフが手を伸ばして彼の指先に触れられたように、私の頬に厄介な熱が広がった。
「封筒を開けてちょうだい」
 赤らんだ顔を隠すことも忘れ、私はつっけんどんに彼に言った。
 ジョセフは封筒を開け、中に入っていたカードを取りだした。カードを見るとかすかに顔をしかめ、無言で私に差し出した。
「“透明な壁”、“作品番号 364”」
 私は受け取ったカードを読み上げた。すぐにピンときた。「温室よ。キャボット夫人ご自慢の全面ガラス製なの」
「“作品番号 364” は?」
「レモンよ。温室の中にレモンの木があるはず。ワルツの『レモンの花咲くところ』は、たしか “作品番号 364” だったわ」
「温室の場所は分かるかい?」
「えぇ、こちらには幼い頃からよくお招きいただいているから」
 ジョセフはうなずくと、お先にどうぞ、と腕を振って私を促した。
「案内してくれ」
 その身ぶりはきわめて礼儀正しく、我が家の召使いたちより恭しく、そしてひどく他人行儀だった。“どうして手を取ってくれないの?” と一瞬でも考えてしまった自分に歯噛みし、私はさっさと歩きだした。

 私たちは一言も言葉を交わさず、敷地の東側にある温室に向かった。
 私たちは一秒でも早くこの宝探しを終わりにしなければならない。私は婚約者のいるジョセフとこんなふうに二人きりで過ごすべきではない。この宝探しはそれほど難しいはずがないし、きっと一時間もせず私たちは別れて、それぞれの部屋に帰ることができるだろう。
 たとえそれが、私の本音と真逆のことでも。

 案の定、温室の中でレモンの木が白い花を咲かせていた。その木の根元に、封筒の束が入ったバスケットを発見した。ジョセフは無言のままその中の一通を手に取り、さっきと同じように私に差し出した。私は手掛かりを読んでから、そのカードをジョセフに渡した。
「“盾の街”、“七本の柱”」
 紙片を眺めながらジョセフがつぶやいた。
「東南の庭園かしら?」
 確証はなかったけれど私は言った。「このお屋敷の東南の庭園は、それは美しい南欧古代都市様式なの。かつて南欧古代都市があった街の貿易船は、必ず盾形の紋章の旗を掲げているわよね」
「“七本の柱” は?」
「たぶん、四阿(ガゼボ)だと思う。東南の庭園には池のほとりに愛らしい四阿(ガゼボ)があるの」
 予想どおり、五分後、私たちは三つめの手掛かりを手に入れた。
「“来た、見た、狩った”」
 ジョセフが手掛かりを読み上げた。「狩りと関係があるんだな。おそらく――」
「あの森を抜けると小さな狩猟小屋があるわ」
 思いついたままに、私は若々しい青葉が茂る森を指差した。「ここからだと、歩いて十五分もかからないと思う」
 カードを手にしたまま、ジョセフが射抜くように私を見つめていた。
 私はたじろいだ。彼はひどく怒っているようにも、なにかを懸命にこらえているようにも見えた。
 私はハッと我に返った。ジョセフは何かを言いかけていた。いくら鷹揚で気前の良い彼も、自分の意見を途中で遮られれば人並みに不愉快になるだろう。
「そうか、行こう」
 ところが、私が謝ろうとしたところ、何事もなかったようにジョセフが言った。「こんなお遊びはさっさと終わらせるべきだ」

 ジョセフはこの宝探しを終わらせたくてうずうずしているらしい。それは実に都合がいい。それなら協力するわよ。
 この宝探しが終わったら、体調がすぐれないと嘘をついて寝室にこもってしまおう。
 私はそう心に決めた。

 沈黙の苦痛を少しでもやわらげたくて、私は周囲の緑に目を向けた。
 一週間後に五月を控えた森はみずみずしい若葉が春の陽射しを受けてきらめき、枝葉を吹き抜ける風は肺の中が緑でけぶりそうなほど薫り高かった。
 きっと今頃、さらに北東部にあるジョセフの森も木々の若芽が萌え、遅い春を享受しているだろう。
 木こりたちとともに歩き、彼が誇りとし、愛してやまない場所。彼の宝物。
 厳しくも慈悲深く、優しく美しい森に違いない。

「一度、ジョセフの森に行ってみたかったわ」
 春の陽射しに当てられたのかもしれない。
 これまで決して言うまいと誓っていた願望が、春の湧水のように私の口からこぼれ落ちた。
 同じ商人として、ジョセフの聖域に軽々しく足を踏み入れるべきではないと分かっていた。だからずっと、言えなかった。あなたの森が見たい、あなたと一緒に行きたい、と彼に素直にねだれる社交界の娘たちに嫉妬と羨望と焦燥感を突かれながらも、それだけは守り通してきた。
 でも、もういいわよね。
 彼はシャーリー・フェアバンクスと結婚してしまう。恋に破れた私が分不相応な願い事を口走ったところで、神様は私を憐れんで聞き逃してくれるわよ。
 隣を歩いていたジョセフが立ち止まった。森の真ん中で私たちは向き合った。

「一緒に行こう」
 ジョセフの声はかすれ、浅黒い頬がかすかに上気して見えた。
「一度だけじゃない。リディア、何度でも君を連れていく」
 誇りと意欲に輝く紺碧の瞳が、まるで愛する女を喜ばせようと懸命な恋人のように私を見つめていた。愛し合う婚約者がいる身で、女友達相手にもこんな表情を作れるのだから、ジョセフは実はとんでもない放蕩者なのかもしれない。
「ありがとう、ジョセフ。そう言ってくれるだけで充分よ」
 少しでも気を抜くと決壊しそうな目元をあらん限りの力でせき止め、とっておきの笑顔をこねあげたというのに、ジョセフはなぜかひどく傷つき悲しげな顔になった。
 困惑と罪悪感でおろおろしていると、突然、空が暗くなり始めた。
「雨になるな」
 空を見上げたジョセフはきっぱりと言った。分厚い鉛色の雲に覆われた空に雷鳴が轟いた。「今、小屋と屋敷とどちらが近い?」
「たぶん、小屋よ」
「じゃあ、急ごう。森は好きだが、雷雨をやり過ごすのにふさわしい場所ではない」

 その判断が正しいのか不安だったけれど、私が意見するよりも先に最初の雨粒が空から落ちてきた。私たちは慌てて駆けだしたけれど、一分もたたないうちに叩きつけるような篠突く雨になった。
 ジョセフは私の手をつかみ、引きずるように走り始めた。雨にぐっしょり濡れたドレスが体中に張り付き、その重みで足がもつれた。ぬかるみに足を取られ何度も転びそうになりながら、ジョセフと私はひたすら走った。
 冷たい春の雨に体の芯まで冷やされた頃、私たちはようやくこじんまりした狩猟小屋にたどりついた。
「どうか鍵がかかっていませんように……」
 歯をカチカチ鳴らしながら私はつぶやいた。

 ジョセフがドアノブをつかんで回した。静かにドアが開いた。



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