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【番外編】第5話 花と海賊


 窓から流れ込こむ爽やかな風がクリーム色のカーテンを揺らすと、薄青の房飾りが浜辺にうちよせるさざ波のようにかろやかにそよいだ。バルコニーへ続く大窓から射し込む太陽の光が、淡いライム・グリーンの壁と精緻な織り模様を施した中東産の絨毯の上を踊るように乱反射している。
 今日の東海岸保養地はよく晴れて、とてもいい天気だ。
 ブラッドリー家の私有地の邸宅(カントリーハウス)から、わたしが愛してやまない森と遠くに紺碧に輝く海が見える。ここはおとぎ話に登場する真っ白な砂糖菓子のお城みたい。わたしの大好きな場所よ。

 でも、それは昨日までのこと。
 今日からここは、わたしの一番大嫌いな場所になるのだから。

「まぁ! コニー、なんて愛らしいのかしら」
 衣装係の侍女が淡い桃色の野バラで作ったかんむりを私の頭に乗せると、お母さまはにっこり笑って満足そうにうなずいた。
 姿見をのぞき込むと、たしかにいつもより格段に愛らしいわたしがいた。
 悔しいけど、認めざるをえない。あの女の選んだドレスは、ふだんお母さまが選んでくれるドレスよりはるかに小粋で趣味がいいのよね。
「コニー! わたしたち、お花の妖精みたいね!」
 わたしと同じ格好をした従姉妹のアニーが、ひどく興奮した様子で駆け寄ってきた。私の目の前でバレリーナみたいにくるりと回ると、彼女の金色の髪が羽根のようにひろがり、ミルク色の絹のドレスの裾がチュチュのようにふわりとふくらんだ。
 もう、アニーはほんと子供なんだから。
「アニー、そんなふうに走っちゃダメよ」
「平気よ。転んだりしないわ」
 わたしがせっかく注意してあげたのに、アニーはなにも知らないトイプードルの仔犬みたいにご機嫌なままだ。
「淑女は走っちゃダメなの」
「ねぇ、コニー、ジョー叔父さまとリディはどこにいるの? リディはもうウェディングドレスを着たのかしら? わたし、早く見たいわ」
 アニーのつぶらな瞳が期待と好奇心できらきら輝いた。わたしはおもわず彼女の手をひっぱって耳打ちした。
「あの女を “リディ” って呼ぶの、やめなさい」
「どうして? お祖母さまもお母さまもマーガレット伯母さまもそう呼んでるわ。それに、リディとわたしは友達だもの」
 アニーはやけに誇らしげに私に微笑んだ。
 部屋にはお母さまやルイーズ叔母さま、それにたくさんの侍女がいたから、私は叫びたいのをぐっとがまんした。

 アニーの裏切り者!
 ジョー叔父さまが結婚すると聞いて、いやだいやだとベソをかいていたくせに!
 あの赤毛のリディア・ローズデールは、わたしたちからジョー叔父さまを奪った泥棒なのよ。そんな女が友達ですって? 冗談じゃないわよ!

「コニー、アニー、そろそろリディのところに行きましょう」
 お母さまがわたしたちを呼んだ。
「うわぁ! もう結婚式なの? ウェディングドレスを着たリディに会えるの?」
「そうよ、アニー。新郎のジョー叔父さまやお父さまたち紳士よりも先に花嫁に会えるのは、私たち淑女だけに許された特権だもの」
 アニーが春のヒバリのように興奮して騒ぎだすと、ルイーズ伯母さまはそれをたしなめもせず片方の目をつむって微笑んだ。

 わたしは唇をかんでうつむいた。ドレスをぎゅっとにぎりしめた。
 行きたくない。ここから動きたくない。
 すてきな野バラのかんむりも、小粋なミルク色のドレスも、全部いらない。いますぐここから逃げ出したい。

 どうして? どうしてジョー叔父さまはあの女と結婚しちゃうの?

 あれは去年の冬、わたしの七歳の誕生日パーティーだった。
 わたしは幼馴染みのセブから嫌がらせのような贈り物を押しつけられて、部屋のすみでこっそり落ち込んでいた。
「やぁ、コニー。パーティーの主役がこんなところでかくれんぼかい?」
 みんな、主役のわたしそっちのけでアニーのご機嫌とりやボードゲームに夢中だったのに、ジョー叔父さまだけはわたしを探して声をかけてくれた。
「きれいなリボンの箱詰めだね。誰からの贈り物なんだい?」
「セブよ。セバスチャン・ノートン。いつもわたしに意地悪なことばかりするの」
 ジョー叔父さまはなぜかとても困ったように微笑んだ。
「わたしにはこんなリボンなんて必要ないのに。こういうのは、アニーみたいな金髪のかわいい女の子がつけるものなの」
 三ヶ月しか誕生日が離れていない従姉妹なのに、アニーと私は全然違う。
 金髪と青い瞳のアニーはお人形みたいにかわいい。引っ込み思案のわたしと違って誰とでもすぐ仲よくなれるし、みんなアニーのことを好きになる。
「君の焦げ茶の髪(ブルネット)はミンクのようにつやつやだから、淡い色、鮮やかな色、落ち着いた色、どんな色のリボンも美しく映えるだろうね」
 ジョー叔父さまはわたしを膝の上に抱っこすると、わたしの頭を優しくなでながら言った。
「コニー、君にいいことを教えてあげよう。君はブラッドリー家の淑女だ。これからもっとたくさん本を読み、芸術に触れ、世界中のありとあらゆることを見聞きし、多くの人と話をし、さまざまなことを学ぶんだ。それから、女性として美しく装う楽しみも知ってほしい。そうすれば君は今よりもっと素晴らしい淑女になれるよ」
「本当? わたし、髪も目も焦げ茶色だし、唇が分厚くて大きいし…… いつもセブから “くちびるおばけ” ってからかわれるのよ」
「彼は君の美しさが見えていないだけだ。君は知性豊かで魅力あふれる淑女なのに。セブの誕生日には眼鏡を贈ってやらなきゃならないな」
 ジョー叔父さまは茶目っ気たっぷりにわたしに微笑んだ。
 わたしは彼の紺碧の瞳のきらめきに元気づけられ、いつもの質問をした。
「ジョー叔父さまはわたしのこと、好き?」
「もちろん。私はコニーのことが大好きだよ」

 嘘つき。
 わたしを好きだと言ったくせに。

 花嫁の控え室に到着したとき、わたしはすでにうんざりしていた。
 扉が開けられた瞬間、お化粧と香水と花の香りが押しよせ、美しく着飾った女たちの華やいだ雰囲気にむせ返りそうになった。
「うわぁ! リディ、すてき! お姫さまみたい!」
 アニーははしたないほど大きな声をあげて花嫁に駆け寄った。彼女は感激屋というか、ちょっとおおげさすぎるのよね。わたしは疲れを見せまいと顔を上げ、アニーを目で追った。
 わたしは扉を背にしたまま、石のように動けなくなった。
 頬がぽかぽかと熱くなり、心臓がどきどき速く脈打ちはじめた。
「コニー、あなたもこちらへいらっしゃい」
 花嫁がわたしを手招きするまで、わたしはぼうっとその場に立ちつくしていた。
 不覚だわ。でも、仕方ないじゃないの。
 これまで、真っ赤な髪を結いあげ、瑠璃紺や深緑の濃い色のドレスを着た姿しか見たことがなかったのよ。魔女のような色っぽい眼差しでジョー叔父さまをたぶらかした、エメラルドグリーンの瞳を持つ赤毛の猫(アビシニアン)のような女。
 そんな女が優美な純白のドレスを着て、花園の貴婦人のようにたたずんでいた。だから、わたしは驚きのあまり動けなくなってしまったの。

 花嫁は緊張した様子もなく余裕たっぷりで、「だって二度目だもの」と奇妙なことを言って大人のみんなを笑わせていた。
 結婚式は一生に一度だけ、神さまに愛の誓いを立てる儀式じゃないの?
「神よ、私のもとに愛らしい天使を二人も遣わしてくださいましたこと、感謝します」
 ヴェール越しに花嫁が言った。「焦げ茶の髪(ブルネット)のコニー、金髪のアニー、赤毛の私。完璧な三位一体ね」
「リディ、わたしたちに任せて! わたしたちがちゃんとジョー叔父さまのところまであなたをつれていってあげる。ねっ? コニー」
 アニーは無邪気な笑みを放って私に振り向いた。お母さまやルイーズ伯母さまの手前、わたしはしぶしぶうなずくしかなかった。
 すると、ヴェール越しに花嫁が満面の笑みを浮かべたのが分かった。
 ……派手で意地悪そうな顔も、笑えば多少は優しげに見えるものよね。

「リディア、そろそろ教会に行く時間よ。気分はどう?」
「すごくいいわ。いつもより頭が冴えているくらい」
「気付けに何か飲む? 発泡白ブドウジュースはどう?」
「ありがとう。ブランデーの代わりとしては心許ないけど、いただくわ」
 きれいなラヴェンダー色のおそろいのドレスを着た花嫁付き添い人(ブライズメイド)たちは、花嫁の親戚や親しい友人であるにもかかわらず、まるで小間使いのようにかいがいしく動き回っていた。花嫁のドレスの裾やヴェールを調整したり、ブーケの確認をしたり、花嫁を扇子であおいであげたりしていた。
「さぁ、妖精さんたち、時間よ。われらの花嫁を花婿に送り届けてちょうだい」
 花嫁付き添い人代表(メイド・オブ・オナー)が、アニーとわたしに微笑んだ。
 わたしたちにバラの花びらがこんもり盛られた花かごが渡された。
 実はわたしたち、花嫁が歩く神聖なヴァージンロードを花で清めるため、花びらをまきながら牧師さまと新郎が待つ祭壇まで彼女をつれていく花嫁の先導役(フラワー・ガール)を任されているの。

 ジョー叔父さまたってのお願いじゃなければ、こんないやな役目、絶対うけおったりしなかったのに。

 屋敷から外に出ると、東海岸北部らしい、まだ初夏のつつましさを留めた八月の陽射しがわたしたちに降り注いだ。
 わたしは――またしても――頬がぽかぽかと熱くなり、心臓がどきどき速く脈打ちはじめた。

 晴れわたる空の青。豊かにおいしげる木々の緑。
 金色の陽射しを浴びて、その中を歩く純白の花嫁は、夏の空から舞い降りた女神のように真珠色に輝いていた。
 彼女が一歩進むたび、優雅なヴェールと豪奢な引き裾(トレーン)がさざ波のようにゆれる。すると、巨大な貿易船が紺碧の海に白い泡をきらめかせるように、鮮やかな青と濃い緑で彩られた真夏の世界を優しく輝く光の粒が満たしてゆくの。
 まるでわたしの背中に天使の翼がはえたみたい。
 今すぐ空に向かって飛び立ちたいような、みんなで手をつないで歌いながら踊り出したいような、そんな楽しい心地。
 胸が高鳴って、背筋がぴんとまっすぐ伸びて、心がほかほか温かくなってくる。
 ふかふかの芝生の上に敷かれた絨毯を歩いていくと、すぐに瑠璃色の屋根と真っ白な壁の教会が見えてきた。結婚式はブラッドリー家の私有地の邸宅(カントリーハウス)の広大な敷地の中にある、この教会でとりおこなわれるの。
 大きな扉の前に到着すると、讃美歌を演奏するパイプオルガンの音色がもれ聞こえた。いよいよ結婚式の始まりだ。わたしたちは花嫁の先導役(フラワー・ガール)をきちんとつとめなきゃいけない。
「私の大事な花嫁を預けられるのは、コニーとアニーしかいない」
 ジョー叔父さまは、わたしたちだからこそこの役目を任せてくれた。その信頼を裏切っちゃだめ。絶対に失敗は許されない。
 緊張でこわばったアニーと顔を見合わせると、わたしたちは互いを励ますように大きくうなずいた。わたしは花かごの持ち手を両手でぎゅっとにぎりしめた。

「コンスタンス、アナベル」
 花嫁がわたしたちを呼んだ。子供っぽい呼び名ではなく、本当の名前で。
 アニーと一緒に後ろをふりむくと――ヴェール越しだったけれど、絶対に見間違いじゃない!――花嫁はうきうきと楽しそうに微笑んでいた。
 まるで、仲間に合図を送る女海賊のように。
「さぁ、行くわよ」
 教会の扉が開いた。
 わたしの背中で、小さな翼がはばたく音が聞こえた。


「もう!大人ってみんな騒々しくて行儀が悪いんだから!」
 わたしはオレンジを一切れ口の中に放り込んだ。
 うまいことを言って、給仕係にお皿いっぱいに果物をよそってもらった。もちろん、それをお母さまに気付かれるような間抜けな振る舞いはしなかったわよ。
 澄んだ管弦楽の音色。軽快な手拍子。調子っぱずれで元気一杯の歌声。
 今は庭園で披露宴の真っ最中。花園の饗宴(ガーデン・パーティー)だ。
 舞踏会場と化した庭で、招待客は陽気な楽隊の演奏に合わせて歌ったり踊ったり、真っ赤な顔で乾杯を繰り返したりと、すっかりお祭り騒ぎ。そのうえ、祝福や挨拶、おしゃべりをするために、ジョー叔父さまと花嫁のもとにはとびっきり甘い蜜に飛びつく蜜蜂のように招待客の大群がおしよせ群がっていた。

 これじゃあ、あの花嫁に復讐のひとつもできやしないわ!

 わたしはチャンスを待ちつつ、庭園にいくつもたてられた白いテントの片隅でアニーと果物をつまんだりジュースを飲んだりしていた。
「ジョー叔父さまもリディもほんとすてきだったわね。まるで王子様とお姫様みたいだったわ……」
 リンゴジュースをすすりながら、アニーはいまだにうっとり夢心地だ。
 私だって思い返すたびに溜め息がもれちゃう。濃紺のフロックコートを身にまとい純白のネクタイを締めたジョー叔父さまは、すべてのおとぎ話の王子さまより優雅で素敵で頼もしく、いつもに増して男前だったのよ…… あぁ! 痛いくらい胸がきゅんきゅんする!

 新郎と新婦があんなに華やかな二人だというのに、式はこじんまりとして、とても短かった。両家の親族と限られた友人知人しか招かれていなかったから、教会の中はずっとうちとけた雰囲気に包まれていた。参列者は重要な人たちから両家の使用人までさまざまだったけれど、みんな心からジョー叔父さまと花嫁の結婚を祝福していた。
 そして、神さまへの誓いの言葉と署名が終わったとき、それは起こった。
 突然、ジョー叔父さまは花嫁を抱き寄せ、みんなが見守る中、彼女に熱烈な口づけを浴びせた。
 わたしもアニーも、思わず「きゃっ!」とみっともない悲鳴をあげてしまった。それからすぐ、教会の中に温かい笑い声のさざ波が広がっていった。
 神さまの御前で口づけなんかして、はしたないと罰が当たらないのかしら?
 まぁ、牧師さまはにこにこ微笑んでいらしたし、それならきっと神さまも目をつむってくださるわよね。

 と、そのとき、ジョー叔父さまと花嫁のテントにたむろしていた紳士の集団がようやく動き出した。
「あっ! アニー、見て! ようやく邪魔者がいなくなるわ。行きましょう!」
 わたしはアニーの手をつかんで駆けだし、一目散にテントに転がり込んだ。
愛の天使(キューピッド)が二人も飛び込んできたぞ!」
 ジョー叔父さまは楽しそうに声を上げると、ぴったり寄り添っていた花嫁と微笑みあった。
「これは幸先がいいわね」
 花嫁は気取った眉をくいっとつり上げ、エメラルドグリーンの瞳をまぶしそうに細めた。「このところ、神様は私たちを特別扱いしすぎよ。ありがたいわ」

 わたしは心の中で花嫁をあざわらった。
 あなたはこれから奈落の底に突き落とされるのよ。わたしはあなたに祝福なんか与えてやらない。だって、わたしは愛の天使の姿をした復讐の天使だもの。
 意地悪なセブたちを言い負かすみたいに、きっちり言ってやるわ。わたしはもう引っ込み思案で口下手な子供じゃない。わたしは泥棒をはたらいた花嫁をにらみあげた。
 わたしは花嫁に宣戦布告をするの。
「わたしはジョー叔父さまをたぶらかしたおまえを決して許さない。おまえから必ずジョー叔父さまを奪い返す」とね。淑女らしく、優雅に、堂々と!

 ……しなきゃいけないのに、どうしよう。
 太陽の光に当たりすぎたのかしら?
 じりじりと焼かれた海辺の砂浜のように、頭の中が真っ白。言葉がひとつも出てこない。日傘をさし忘れた夏の午後のように、頬が熱い。嵐が去った青空の下、嬉しそうに海の上を飛び交うカモメのように、心臓がドキドキやかましく騒ぎだした。
 いつのまにか、魔法をかけられた小熊のように――またしても――わたしは花嫁から目を離せなくなっていた。
 ヴェールをあげて、アニーやわたしと色違いの白い野バラのかんむりを頭にのせた花嫁がわたしを見つめ返した。
 仲間を称える女海賊の微笑みが、わたしの翼を優しくくすぐった。

「ジョー叔父さま、リディ、結婚おめでとう」
 復讐の天使とはほど遠い、ひどくご機嫌なわたしの声がテントの中に響いた。
「みんなで乾杯しましょう!」



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