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第14話 鷹とヒバリ


 四歳年上の兄アーサーは、小さな頃から頭脳明晰で際立って明敏だった。
 十二歳の時点で、五ヶ国の外国語で冗談を言うことができた。父の鷹揚な貫禄と理知的な部分を受け継ぎ、同時に母の華やかさや人を楽しませる才能にも恵まれていた。
 物心ついた頃から、私は兄を畏れてきた。彼はつねに最善そして最良の努力を怠らない。学校では最優等の成績を修め、いくつかのスポーツのすべてで新たな記録を打ち立て、他人に真似できないほど自分を厳しく律し評価する人間になった。アーサーは馬を馴らし、ワルツを踊り、法律の改訂点を説き、船舶工学を教え、傷口に包帯を巻き、馬車の車輪を直すこともできた。
 頭の回転が速く博識なアーサーは、いつも彼の友人や崇拝者たちに囲まれていた。寄宿学校でも大学でも自由貿易同盟でも、常に自分がいる場所の人間たちの中心にいた。彼の友人としての信望と商人としての地位は、妹の離婚ごときではわずかに翳りもしなかった。
 これほど多彩な才能を獲得した兄は、両親にとって自慢の息子であり、息子を持つ商人たちの称賛と羨望の的だった。
 兄は私をうらやんだことも、ましてや自慢に思ったことなど一度もないだろう。
 彼はローズデール家の跡取り息子として周囲の期待を一身に浴び、それ以上の結果で応えてきた。その実績によって、私がいくらたくさん歴史書や文学書を読み、詩を諳んじ、ピアノやヴァイオリンを弾きこなしても身につけられない自信を備えていた。
 競争を勝ち抜いた者しか手に入れられない、確固たる根拠に基づく自信を。

 私は唇を噛んだ。いつもこうだ。
 私がどんなに頭を絞って反論しても、ヒバリと空を飛ぶ速さを競う鷹のように、アーサーはそんなことなどものともしない。いつも必ず最後は彼に軍配が上がる。

 節度に欠ける振る舞いをしていたのは認める。
 とっくに片手間の範疇を超えていたにもかかわらず、あくまで趣味でこしらえたものだから、身内や友達にあげるだけだから、母の友人に差し上げるだけだから、と余裕ぶって材料代を受け取らなかったのは否定しない。

 でも、これだけは断言できる。
 自分のハーブ製品が値打ちをつける価値すらないものだなんて、たとえ謙遜でも口にしたことはなかった。受け取りはしなかったけど、その代価に見合うものだと自信があったからこそ、大切な女友達や母のお友達に差し上げることができたのよ。

「使い続けるわよ」
 アーサーの深い緑色の瞳を真っ直ぐ見据えて私は言った。
「私のハーブ製品にはそれだけの効果と価値があるもの。私はきちんと名のあるハーブ農家で勉強したのよ。その知識に基づいて作っているの。品質も保証できないようなものだったら、頼まれるままにほいほい差し上げたりしないわ」
「品質を保証する? どうやって保証するんだ?」
 アーサーは落ち着き払ったまま質問を重ねた。
「来月の薬草調剤管理士の資格試験に必ず受かってみせるわ。これでも三年間こつこつ勉強してきたんですからね!」
 胸を張り、鼻息荒く私はまくしたてた。「そうしたらまず私の事業を立ち上げる。その次に自由貿易同盟商工会議所に化粧品製造販売業許認可を申請をして、それが通ったら今度は化粧品製造販売品目届書を提出するわ。それに衛生検査局で薬事法検査の証明試験も受けるつもり。これで品質の保証は問題ないはずよ」

 商人になりたいと決めて以来、父や兄の目を盗んでハーブ製品の事業を立ち上げるために必要なことを色々調べた。
 商工会議所の窓口で確認するのが最も手っ取り早かったんだけど、父や兄と顔見知りの同業者しかいない場所で、“私、これから商売を始めたいと考えているんです” と公然と自己申告する勇気はなかった。
 仕方なく自由貿易同盟公共図書館でこそこそ調べたのよ。念には念を入れて司書に問い合わせすることも控えたから、商業法務の本棚にたどり着くまでに半日もかかってしまったわ。公共図書館はこの国で三番目に大きい図書館で、その威容は古代文明の神話に登場する白亜の神殿のようだ。おかげで迷子になりかけて大変だったのよ!

「よく調べているな」
 唐突に、アーサーが表情をやわらげた。「さすが、私たちの目を盗んで公共図書館に通い詰めただけはある」
「なんですって?」
 思わず声が上擦った。
 呆然と父と兄の顔を見返した。すると父は、私が七歳の頃、初めてピアノ曲(バガテル)を一曲弾ききったときと同じ穏やかな称賛の笑みを浮かべていた。
「さすがのお前も、商工会議所の窓口で手続きを確認するほど無鉄砲ではなかったようだね。安心したよ。仕方なく公共図書館で調べたのだろう? あそこは蔵書が膨大で、宮殿のように広いから大変だったろう」
 それまで黙ってアーサーと私のやりとりを聞いていた父が、やけに満足げな表情で私に問いかけてきた。

 場違いなほどにほがらかな父と兄の雰囲気に、私は思わずカッと頭に血がのぼった。

「どうして! どうして知っているの?」
 混乱に陥った私はみっともなく声を上げた。
「私はお前がなぜ私たちに隠し通せると思っていたのか不思議でならないよ」
 呆れを通り越し、憐憫に満ちた表情でアーサーが私に言った。
「リディア、図書館には様々な人間が来館するんだ。例えば、父上や私の友人、知人といった人間がね。お前はローズデール家の特徴が色濃い。その赤毛はボンネットをかぶっていても充分目立つ。顔立ちも、まぁ、なんだ、一度見れば余程記憶力に欠陥のある者以外は忘れないだろう。ただでさえ女が商業法務の本棚の周りを連日うろちょろしていれば、それだけで目につく。そこで我らの友人たちは、お前が何かのっぴきならない事情を抱えているのではないかと心配し、わざわざ父上や私に連絡をくれたわけだ。いやはや、持つべきものは友情に忠実な友人だな」
 アーサーは服従と恭順の欲求を催させる魅力的な笑みを光らせた。

 敗北感と羞恥のあまり、私はその場で昏倒したくなった。

 なぜ私はこうも慎重かつ周到な行動ができないのだろう。
 思い返せば、確かに図書館でたびたび視線を感じることがあった。でもそれは、“女のくせに商業法務の本棚なんぞのぞいて生意気な” という顰蹙だとばかり思っていた。にらみ返してやりたいのをぐっと我慢し、なるべく視線を合わせないようそっぽを向いていたから、彼らの顔を確認しなかった。まさか、よりにもよってお父様やアーサーの友人や知人たちだったなんて。

「じゃあ、お父様もアーサーも、私が商売を始めようとしていると気付いていたの?」
 羞恥心をむりやり脇へ押しやり、私は二人を問い詰めた。
「いや、さすがにそこまでとは考えていなかった」
 このときのアーサーは、柵の中で暴れまわるポニーに失笑する厩番だった。
「いよいよ結婚を諦めてうちの商売の手伝いでもする気なのかと危ぶんだが、まったく、そんな可愛いもんじゃなかったな」
「じゃあ、どうして “ちょうどいい” なんて言ったのよ」
 自分の立場も忘れ、私は尋問官のように身体を乗り出した。
「文字どおり、ちょうどよかったからさ。私たちも考えていたんだよ。お前のハーブ製品をうちの事業のひとつに使えないか、ってな」
「なんですって?」
 私は激しく面食らった。
 まさかこのひとたちと私の思惑が一致するなんて、八十六年に一度しか夜空に姿を現さないヘイリー彗星くらい、なかなかお目にかかれない事態だ。

 父と兄を前に、こんなときにもかかわらず、『南十字航路物語』の操舵主ハンクの台詞が私の頭の中を流れ星のように横切って行った。

「見ろ! 二百年に一度の双頭竜座流星群だ! 我らの遥か先を行く大いなる星々よ。星屑よりもちっぽけな俺たちに教えてくれ。この名高き航路でこれから何が起こるんだ?」



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