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【番外編】第3話 強欲


 その晩も、賭博室はいつものように騒々しく盛り上がっていた。
 着飾った紳士と淑女でごった返し、葉巻の煙がたちこめ、そこにブランデーとワインのにおいが混じり合い、開け放した大窓から流れ込む夏の夜風がゆったりと室内の空気をかき回していた。
 かまびすしいおしゃべりの合間に大きな笑い声が上がった。とくに僕たちのテーブルは賑やかだった。僕は無言で、向かいの席の従兄がトランプを卓上に無造作に放り、賭け金を回収するのを眺めた。

 どうやら、彼は今夜もついているようだ。
 幸運の女神を味方に付けた男にふさわしく、彼の表情は自信に満ちあふれていた。彼は今まさに、宝島に上陸したばかりの海賊船の船長のようだ。財宝をその手につかんだ男の確信と興奮のために、彼の深い青の瞳ははばかることなく喜びに輝いていた。
 まぶしそうに細められた目。深いえくぼ。白い歯。
 我が従兄、ジョセフ・ブラッドリーが上機嫌なのは一目瞭然だ。
 その原因は秘密でも謎でもない。至極簡単かつ単純明快なことだ。
 この賭博室にいる上流社交界の人間どころか、この自由貿易同盟に暮らすほとんどすべての市民が知っているに違いない。
「なぁ、ブラッドリー」
 テーブルのひとりが苦笑いとともに不平を漏らした。「せめて一回か二回、お前が勝負から外れてくれたら私たちにもツキが回ってくると思わないか?」
 ジョセフの濃い青の瞳が、無邪気で尊大な子供のようにきらりと光った。
「札を配っているのはほかの人間だ。私ではどうすることもできないな」
「君は昔からそうだ。そうやって何でもかんでも独占したがるのは悪い癖だぞ」
 気安げな揶揄がテーブルの反対側から飛んできた。
「言いがかりはやめてくれ。それではまるで私が強欲の悪魔のようだ」
 ジョセフは椅子に深く背を預け、満足な様子を隠しもせず微笑んだ。「いいかい? 私は昔から我慢の利かない男だが、決して強欲ではない」
「なるほど、それならここ最近の君の様子を見る限り、君は今なにひとつ我慢せず満たされているというわけだな」
 寄宿学校をともにした旧友らしい気安く際どい揶揄に、ジョセフは彼独特の野性的で一癖ある笑みを浮かべた。
「“人から出て来るもの、それが人を満たすのである。すなわち内部から、人の心の中から、歓びが出て来る。歓びはすべて内部から出て来て、人を満たすのである”」
 慎みのない笑い声がテーブルに沸き上がった。
 ジョセフは、神の教えの中で非常に重要な位置を占める、聖マシューが記した福音書の七つの強欲を戒める一節をもじって言い放った。
 あろうことか、ひどく官能的な想像をかきたてる言葉で。
 彼の口元がにやりとたわんだ。
「諸君、覚えておきたまえ。後世に福音と見なされるのはこちらだからな」
 謹厳な修道士や敬虔な尼僧が耳にしたら、神の怒りに触れると恐慌をきたすか卒倒して寝込んでしまうかもしれない。

 ジョセフはまるで、初恋に浮かれる十三歳の少年のように有頂天だ。

「さぁ、もうひと勝負、始めようじゃないか」
 彼は自分のカードを手に取り、長い指で扇状に広げた。
 厳格で威儀正しい父親と上品で奥ゆかしい母親の間で生まれ育った僕のような男は、ジョセフのように快活で小さなことにこだわらない男の挑発をかわすのが非常に困難だ。彼を前にすると、僕は危険を承知で冒険を求め、海賊船に乗り込む船乗りのように無鉄砲になれる。それがたまらなく楽しい。
 打ちとけた気心知れた男たちが寄り集まると、遠慮はなかなか成立しがたい。おまけに彼らは祝杯と称して浴びるように酒を飲んでいたため、それほど顔には出ていないが、だいぶ酔っ払っていた。
 一方、我が世の春に浮かれて有頂天になっていても、ジョセフはいつもどおり冷静沈着で悠然としていた。相変らず彼が勝利を独り占めしていたが、誰かひとりが手酷い負けを喫したり大損したりしないようテーブルに目を配り、この晩も番人の務めを完璧にこなしていた。
 さらに二回鮮やかな勝利をものにすると、彼はカードを卓上に投げて立ち上がった。
「それでは諸君、悪いが私は抜けさせてもらうよ」
 鼻歌をくちずさんばかりに上機嫌な様子で足早に賭博室を出ていく彼の姿は、まるではっきり行き先を決めているかのようだ。

「このところ、やつは浮かれ過ぎじゃないか?」
 テーブルを囲んでいたひとりがつぶやいた。
 温厚な紳士と自信に満ちた商人。つねにそのふたつの絶妙な均衡を保ちながら余裕と冷静さを崩さなかった彼が、これほど無邪気に喜びをあらわにしているのを見るのは、僕たちにとって初めてのことだ。
 正直なところ、僕たちはそんな彼の様子にひどく面食らっていた。
 そして僕以外の若い男たちは、その原因そのものにも驚きを禁じえない様子だった。
「ブラッドリーがミス・ローズデールに落ち着くとはなぁ」
 先日、ジョセフとリディアはだしぬけに婚約を発表し、社交界の度肝を抜いた。
 あまりに唐突な出来事だったので、社交界は憶測と噂の嵐が吹き荒れた。それらをまとめて要約すると、ジョセフはフェアバンクス家の末娘シャーロットと正式に婚約寸前だったが、ヴァンダーグラフ家の息子アーネストが横槍を入れたことで自ら身を引いた。リディア・ローズデールはそんな彼の哀しみに弱った心につけいり、まんまと彼の妻の座を射止めた、ということらしい。

 リディアもこの舞踏会に来ていた。
 今夜の彼女は、いつもにまして魅惑的だ。襟ぐりの深いドレスはミモザのような優しくまろやかな黄色で、彼女のあでやかな赤毛と抜けるような象牙色の肌を見事に引き立てていた。
 ジョセフとの婚約を発表する二、三ヶ月前、春頃から彼女はどこか変わった。慎みを知らぬ口達者ぶりは変わらぬままだったが、表情や振りまく空気がぐっとやわらかく、艶めかしく、たおやかになった。斜に構えたような生意気さが薄まり、女性らしいおおらかな自信が漂い始めた。
 目敏く気付いたのは僕だけではなかった。
 以前から、表面上は彼女など眼中にないと笑い飛ばしながら、その裏で男たちは互いを牽制し合っていた。みずからの評判を賭ける度胸も覚悟もないくせに、なんとかしてリディアに近づこうと姑息な試みを仕掛けては彼女に軽くあしらわれていた。しかし、この一ヶ月というもの、中には傍目にも明らかに彼女にのぼせあがっている男たちが何人もいた。さらに幾人かは、彼女との将来を真剣に考えて熱心に彼女を口説きにかかっていた。

 今、その男たちは密かに悲しみに暮れている。
 ほかならぬ我が従兄、ジョセフ・ブラッドリーのせいで。
 彼は社交界の一部の――と表現するにはいささか人数が多すぎるかもしれない――男たちの嫉妬と羨望をこれまでにないほど浴びている。彼はそんな自分の状況を的確に理解しているが、後ろめたさや居心地の悪さを微塵も感じていない。そうした表情や態度をとりつくろうとすらしない。みずから勝ち獲った愛と幸福を周囲に誇示することを、神から与えられた当然の権利と見なしているのだろう。
 常日頃、温厚篤実で謙虚な紳士を気取っているが、ジョセフ・ブラッドリーはそういう男なのだ。

 僕はそんなジョセフのことが好きだ。
 従兄として、友人として、商人として尊敬している。
 ジョセフから、僕は多くのことを学ぶことができた。みずから興した材木事業はもちろん、ほかの商売や製造に関する知識が実に豊富なのだ。たとえば、今後本格的に携わることになるであろう生家ブラッドリー家の鉄道事業に話が及ぶと、機関車の設計や工学技術の原理に精通しているだけでなく、最新式の広軌の機関車で使われている様々なボルトの名前まで知っていた。
 僕の祖父は著名な実業家であると同時に、偉大な化学者でもあった。僕は尊敬する祖父にならい、大学では化学を学んだ。そのため、あらゆる分野において技術的知識の話題に目がない。だから、ジョセフとの会話はつねに興味深いものだった。少なくとも僕ら二人の間では。僕らの議論に参加した者は、誰でも五分後には船を漕ぎだす始末だった。

 僕はジョセフの立ち居振る舞いに感銘を受けずにいられない。
 自由貿易同盟の社交界のお上品な人々のみならず、ジョセフは年配の貴族から粗野で無愛想な若い埠頭労働者に至るまで、様々な種類の人々の心を容易に捕えて離さない。あらゆる取引の交渉の段になると、彼は猛然と突き進んだが、いついかなるときも決して紳士らしさを失うことはなかった。冷静で落ち着き、思慮と分別があった。そのうえ率直で少々辛口のユーモアと独特の愛嬌を兼ね備え、それが彼により一層抗いがたい魅力を与えていた。
 ジョセフの粘り強さと自分の意志を貫き通す潔さは、典型的なブラッドリー家の気質だ。上の二人の兄たち以上に、ジョセフには生まれつき風格と自信が備わっており、人々は本能的にそれに反応した。

 見知らぬ土地を行く旅人のように、僕が道に迷ったり行き先を誤ったりすれば、ジョセフはいつでも僕の道標となってくれた。必ず僕の肩をたたいて言葉をかけてくれた。彼は僕の背中を押したり、今来た道とは違う道があることを教えてくれた。
 僕が愚かな過ちを犯せば、彼は本物の兄のように容赦なく僕を怒った。そして正しい道を選ぶ機会を惜しみなく、根気強く与えてくれた。
 ジョセフは提督にも司令官にもならない。彼は決して強制も命令もしない。
 彼はいくつもの航路を指し示すだけだ。羅針盤はつねに僕の手の中にある。僕が僕自身の航路を見つけ、選び、進んで行けるように。
「ローリー、ミス・ローズデールから聞いたぞ。彼女とお前は幼馴染みなんだって?」
 そうだ。リディアは幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた大切な幼馴染みだ。
「驚いたよ。先日、俺が彼女を紹介したとき、お前はまるで彼女と初めて顔を合わせたように見えたから」
 自分自身の愚かな振る舞いのために、僕は彼女と五年間も断絶していた。胸にくすぶる未練と後悔を意地で塗りつぶし、いくども湧きあがる疑問に何度も蓋をした。とにかく彼女と話をしたかっただけなのに、結局人前で彼女を侮辱し、またしても彼女を傷つけた。
「幼馴染みならそれにふさわしい振る舞い方があるんじゃないか、ローリー?」
 それにもかかわらず、僕は彼女と和解できた。ジョセフが肩を押してくれたから、覚悟を決めてリディアに踏み出すことができた。

 商売、スポーツ、哲学、文学、もちろん淑女に聞かせることのできない男特有の事柄。ジョセフとなら、僕は何もかも心置きなく語り合える。気取らず気負わず、遠慮や建前を取り払い、ポロやラクロス、ボートやフェンシングといった競技で思う存分力を発散できる。ホフマン家の跡取り息子という気楽とは言いがたい身分から解放される。
 輝く航路を共に行く海の冒険家のように。
 ジョセフと一緒にいると、僕はいつでも楽しく自由な時間を享受できる。

 しかし、僕はこのところずっと、そんな気分になれずにいる。

 ジョセフが愚かで下らない男ならよかったのに。
 それなら僕は彼を心置きなく恨むことができるし、彼の婚約者をいまだ愛していることに後ろめたさを覚えることもないだろう。過去の彼女への振る舞いを悔んで未練がましい回想に耽り、彼と自分を見比べて密かに溜め息を吐くような情けない毎日を過ごさずに済むだろう。
 こんな無様な願望を抱くこともないだろう。
 “僕がジョセフならよかったのに。”

「ローリー、こんなところで何をしているんだ」
 からかいを多分に含んだ愉しげな声が僕の肩を叩いた。「若い娘たちがお前を探してタンポポの綿毛のように大広間をさまよっているぞ」
「知っている。ちょうどその様子を眺めているところだ」
 僕は眼下の大広間から視線を動かさず答えた。
「まったく見下げ果てた男だな」
 声から判断するに、ジョセフは夏の太陽のようにまばゆい笑みを光らせていたに違いない。従兄らしい馴れ馴れしさで僕の真向かいの椅子に腰を下ろすと、同時に給仕が彼のためにブランデーを運んできた。
 大広間をぐるりと囲む二階の回廊には、休憩用に低いテーブルと椅子が点在している。僕はオーケストラから最も離れた静かで人気の少ない場所を選び、ひとりで大広間を眺めていた。ここからなら舞踏会の様子をくまなく見渡すことができる。しかし、大広間で踊り、しゃべり、笑う人々のほとんどは目線を上げたりしない。
 鹿狩りの最中に呑気に空を見上げる猟師がいないのと同じように、社交界の人々は回廊の片隅のテーブルなどいちいち気には留めない。

 だから、僕はここが好きだ。
 ここなら、どれだけリディアを見つめていても彼女に気付かれることがないから。

「お前はよほどここが好きなんだな」
 不思議そうにジョセフが言った。「いつも、どの舞踏会でも、お前は気付くと大広間を抜け出してこうした場所で階下を眺めている」
 内心、僕はぎくりとした。
 ジョセフの鋭く明敏な洞察力を前にすると、僕は全身の毛を刈り取られた羊のように心許ない心地になる。僕は彼を気に留めていないふうを装いながら、全身で彼の存在感と無頓着な視線に神経を尖らせていた。
「なにもかもよく見える」
 ジョセフがいくらか驚いたようにつぶやいた。「不思議なものだ。大広間の誰もこちらを見ない。まるで魔法の壁が俺たちの姿を隠して見えなくさせているようだ」
「あぁ、だから面白い」
 抑えがたい対抗心に突き動かされ、僕はジョセフに顔を向けた。「誰が誰を見ているか、つぶさに分かるんだ」

 ジョセフとリディアの婚約に驚いているやつらは、愚かなめくらだ。
 しかし、この二人はそれ以上の愚か者だ。
 銃を携えた猟師がうろつく森を、つがいを探して無防備にさまよい歩く二匹の狼のように、彼らはいつも離れていながら互いの姿を求めていた。

「お前は俺が誰を見ているか、知っていたのか?」
 ジョセフは率直な男だ。彼の中に動揺という感情は存在しないのだろう。好奇心をたたえた少年のような眼差しで、うきうきと僕の返事を待ちかまえている。
「あぁ、君が婚約を発表するずっと前から知っていたよ」
 捨て鉢な気分で、僕はあっさり白状した。「ジョセフ、君は正直すぎる。社交界には不向きだ」
 彼は満足げに深く微笑むと大広間を一瞥した。すぐ視線をこちらに戻すと、奥まった目をまぶしそうに細めて僕を見返した。
「お前だって人のことは言えないだろう」
 大きな手の中でブランデーのグラスを揺らしながら、自信と確信を見せつける親しげな挑発が僕を襲った。「なにせお前は俺の従弟だからな、ローリー」

 ジョセフの微笑みは人を驕らせる。
 まるで彼が自分のことを心から褒めたたえ、敬い、一目置いている重要な存在であるかのように思わせる。自分がとても素晴らしく価値のある人間であるかのような錯覚に陥らせる。
 しかし、錯覚は錯覚でしかない。
 事実、僕はジョセフに及ばない。リディアは僕ではなく彼を選んだ。彼女を手に入れたのは僕ではなくジョセフだ。僕は彼女の白鳥の騎士になれなかった。白鳥の騎士は、己の立場ゆえに低地の公女の元を去らざるをえなかった。しかし、僕は下らない矜持と意地のためにみずからリディアの元を去った。あの古典の物語と僕の愛の物語で共通しているのは、悲劇で終わった(アンハッピー・エンディング)という点だけだ。
 尊敬と敬愛と友情の隙間に、嫉妬と羨望と敵意が流れ込んでくる。それは清流を濁らせる泥だらけの濁流のように、とどまることを知らない。川幅が広ければ広いほど、濁流はどこまでも深く広がっていく。

「俺はずっと怖かったよ」
 不意に、ジョセフは穏やかな笑みを消してつぶやいた。「いつお前が彼女をさらっていくかと気が気じゃなかった。今でも怖い。彼女にとって、お前は特別な男だから」
「今の君にそんなことを言われて僕が喜ぶと思っているのか?」
 思わずかっとなって言い返してしまった。「君は僕を怖がる必要などない。いや、その資格はない。君は彼女を手に入れたじゃないか。頼むからそんな下らない妄言を聞かせないでくれ。ジョセフ、まさか君は僕を慰めているつもりなのか?」
 これはジョセフらしからぬ失言だ。
 彼と僕は同じ女を愛し、彼は彼女に選ばれ、僕は選ばれなかった。
 ジョセフは宝島に上陸し財宝を手に入れた冒険家。僕は揺れる波間を漂いながらそれを眺めることしかできないちっぽけな船乗り。
 つまり、彼は勝者で僕は敗者だ。勝者は敗者の健闘を認めるだけでいい。それ以上は必要ない。決して慰めや施しを与えてはならない。勝者は勝者らしく敗者など捨て置き、超然と構えていればいいのだ。敗者の悔しさをなだめ、自らに向かう怒りを避けようと、あれこれ言葉を繰るのは非礼中の非礼だ。
 そんなことをされれば、敗者は余計に惨めになるだけなのだから。

「まさか。俺はお前を慰めるつもりなど毛頭ない」
 ジョセフは忌々しげに――本当だ。見間違いではない――僕を見据えた。
 僕は我が目と耳を疑った。思わずまじまじとジョセフを凝視してしまった。彼は僕の驚愕に頓着せず、ブランデーを一口飲んでから続けた。
「なぁ、ローリー、お前は自分がどれほど恵まれているか分かっているのか? 俺はどれほど手を尽くしても、お前が彼女と過ごした時間を手に入れることはできないんだ。社交界にデビューする前の少女時代のリディア…… きっとこの世で最も愛らしい女の子だったのだろうな。聞けば、子供の頃、お前はよく彼女と二人で本を読んでいたそうじゃないか。あろうことか、二人きりで!」
「あ、あぁ、子供のときはしょっちゅう……」
 ジョセフの豹変にあっけに取られ、僕はうろたえながらうなずいた。すると、彼は暗い怒りをたぎらせた顔で、悪態のように聞こえる言葉を口の中でぼそぼそつぶやいた。
「口惜しくてたまらない。あぁ、神はなぜ彼女と生まれた頃からずっと共に過ごす幼馴染みの役目を、俺ではなくお前に与えたんだ」
 社交界のありとあらゆる女たちを夢中にさせる野性的で凛々しい顔に、色濃い不満とわずかな嫉妬が走った。「従兄なんだから、俺でもよかったと思わないか? そうしたら俺は彼女の時間すべてを独占できたのに」

 ジョセフの問いかけと神への不平不満は聞かなかったことにしよう。
 僕は溜め息をこらえ、仰向けに倒れるような心地で椅子に深く寄り掛かった。

 “僕がジョセフならよかったのに。”
 この前言は撤回せねばなるまい。僕はこんな男には決してなりたくない。

 あぁ、リディア…… 僕の低地の公女。
 なぜ君は、僕ではなくこんな強欲で厄介な男を再婚相手に選んでしまったんだ。



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